ハロウィーンが終了し、11月の半ばころからイギリスのあちこちでクリスマスマーケットが開催され、クリスマスイルミネーションが点灯されています。
クリスマスの1か月も前から街はクリスマスムードですが、歴史を辿るとクリスマスはもともと12日間だったのです。
今でもイギリスでは、「Twelve days of Christmas /クリスマスの12日」と言って名残があります。今回はイギリスのクリスマスの歴史をご紹介します。
Twelve days of Christmas
クリスマスを祝う歌であるクリスマスキャロルの一つに、「Twelve days of Christmas /クリスマスの12日」という歌があります。
「Twelve days of Christmas /クリスマスの12日」の歌詞は、12/25から12日間、毎日もらったクリスマスプレゼントについてです。
この歌は1780年に発行されたということからわかるように、昔はクリスマスは12日間お祝いされていました。
そしてその12日間というのは、12月25日のクリスマス当日から1月6日の公現祭といわれるキリスト教のお祝いの前夜、1月5日までがクリスマス期間だと言われています。
チューダー朝時代のクリスマス
チューダー朝の終わりに統治していて、イギリスの歴史の中で有名な女王様エリザベス1世の時代のクリスマスも、「Twelve days of Christmas /クリスマスの12日」のクリスマスキャロルと同じように、12 月25日から1月5日までの12日間と公現祭がクリスマスのとして、祝賀が行なわれていました。
現在のクリスマスと同様に、ごちそうが用意されお祝いされていました。
しかし現在との違いは、現在のイギリスでは12月25日にごちそうを囲みながらクリスマスパーティーをする一方、チューダー朝時代のクリスマスは12月25日から1月6日までの12日間、ずっと同じペースで同じ力量でクリスマスパーティーが開かれ続けていたことです。
現代の12月25日のお祝いが正に12日間続いていたそうです 。
それだけ、「Twelve days of Christmas /クリスマスの12日」は実在した歴史だったということです。
ピューリタン革命でクリスマスが亡くなった?!
チューダー朝時代が終わり、その後イギリスでは「清教徒革命/ピ ューリタン革命」と呼ばれる宗教改革が起こります。
この「清教徒革命/ピューリタン革命」により、当時の君主であったチャールズ1世は退位され、 処刑されてしまいます。
チャールズ1世の処刑された1649年から王政復古が起こり、チャールズ2世が王位に就く1660年まで、イギリスには国王がいない期間がありました。
その期間、プロテスタントであるオリバー・ クロムウェルがイギリス共和国の指揮官となります。
宗教改革によって、王政が廃止され敬虔なもともとのキリスト教の信仰をしっかり守ろうとしたプロテスタントの国にイギリスはなりました。
その影響で、 一時期イギリスではクリスマスがお祝いされなくなったのです。
なぜかというと、敬虔なキリスト教であるのならクリスマスという特別な日だけでなく、毎日神に感謝し祈りをささげるべきだとされたためです。
そのためロンドンでは、クリスマス当日の12月25日に教会でミサを開催することも、クリスマスパーティーをすることも禁止されていたそうです。
12日間もお祝いされていたイギリスのクリスマスですが、宗教改革で一時期イギリスからクリスマスがなくなりました。
しかし王政復古が実現し、クリスマスも復活します。
クリスマスツリーは1月6日まで飾る
現在でも「Twelve days of Christmas /クリスマスの12日」の文化が残っており、イギリスではクリスマスツリーは1月6日まで飾るのが通常です。正確に言うと、12日間のクリスマスが終わった1月5日の翌日6日にクリスマスツリーを片付けます。それ以上長く飾っていると、不運が訪れると言われています。
日本ではクリスマスが終わった翌日の12月26日にはお正月ムードに一変しますが、イギリスやヨーロッパムード多くの国では1月6日 までクリスマスデコレーションやクリスマスマーケットが楽しめます。
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