ロンドンにある約950のブループラークをほぼすべて巡ってみました。
950ものブループラークを巡ってみると、たくさんの有名な作家が住んだ家にも出会いました。
ロンドンには本当に多くの有名な作家が住んでいたことを実感し、今こうやって日々過ごしているこの街、この道を有名な作家さん達も同じように歩いていたのかなと思うと、興奮してしまいます。
ということで、今回は「ブループラーク巡り・有名な作家編」ということで、ロンドンにある有名な作家のブループラークをご紹介します。
ブループラークについて詳しく知りたい方はこちらを ↓
サマセット・モームが住んだ家
『月と6ペンス』や『人間の絆』などで有名なサマセット・モームが住んだお家がこちらです。
モームは1911年4月から1919年3月までここに住んでいました。
この家に住んでいる間に、『人間の絆』を執筆しています。『月と6ペンス』も1919年4月に発売が開始された本なので、この家に住んでいるうちに書かれた作品です。
サマセット・モームは「イギリスでおいしい食事をとるならば3食朝食を取るべきだ」などの皮肉を言ったことでも有名です。
学生の時に『月と6ペンス』を読んでから、好きな本は『月と6ペンス』と『ハリーポッター』と答えているほど、彼の作品が大好きな私。
実は家族で何気なく海外旅行へ行けるならどこに行きたいかの話になった際に、私が「タヒチに行きたい、すっごい面白い本の舞台で出てきたから!」と話したところ、父から「月と6ペンス?」と聞かれました。
どうやら父も若いころに読んで、『月と6ペンス』が大好きだったよう。
両親がまだ結婚する前付き合っている時に、父に進められ母も読んだらしいのですが、母にはこの本は響かなかったらしいです。
私はずっと母との方が似ていると思っていたのに、父との意外な共通点が見つかって嬉しかった本と作家さんです。
父がロンドンに遊びに来た際には、絶対ここを案内しようと決めています!
サマセット・モームが住んだ家:6 Chesterfield Street, Lodon, W1J 5JQ
アガサ・クリスティが住んだ家
「ミステリーの女王」と呼ばれるミステリー作家アガサ・クリスティが2番目の旦那さんと1934年から1941年までの間に住んだお家がこちら。
第二次世界大戦での空爆を避けるために引っ越すこととなってしまったお家ですが、クリスティは「幸せな家」と称するほど好きだったようです。
クリスティが住んだ家で唯一自身の書斎があったお家だそうです。
1920年から1965年まで毎年新しい本を出版していた作家さんが、書斎のないお家に住んでいたこともあったことに驚きです。
アガサ・クリスティはロンドン内で何度か引っ越しをしているのですが、このお家に住んでいた際に『オリエント急行の殺人』を執筆しています。
このお家を見に行く少し前にアガサ・クリスティの本を初めて読んだので、お家を見た時はとても感激しました。
アガサ・クリスティが住んだ家:58 Sheffield Terrace, London, W8 7NA
チャールズ・ディケンズが住んだ家
イギリスの小説家を言って思い浮かべる人も多いほど有名な作家チャールズ・ディケンズが住んだお家がこちらです。
代表作は『クリスマスキャロル』や『オリバー・ツイスト』です。
ディケンズはこの家に住んでいる時に『オリバー・ツイスト』を執筆しました。
このチャールズ・ディケンズのブループラークは1903年に付けられたもので、このプラーク自体にも歴史があります。
またこのお家は取り壊しの危機にあった際に反対するため、1925年にチャールズ・ディケンズ博物館として一般公開されるようになり、現在でも多くのディケンズファンが訪れています。
チャールズ・ディケンズが住んだ家:48 Doughty Street, London
H·G·ウェルズが住んだ家
『タイムマシン』『透明人間』『宇宙戦争』などの名作を描き、「SFの父」とも呼ばれるH.G.ウェルズが住んでいたお家がこちらです。
彼がこの家の住んでいたのは1936年から亡くなる1946年までのため、この家に越してきた時には既に『タイムマシン』や『透明人間』、『宇宙戦争』などは出版済みです。
だからこそリージェンツ・パークの近くに越してこられてのかもしれません。
彼がここに住んでいた際には庭のベンチに腰掛け、池のボートや花壇をボーっと眺めている彼がよく目撃されていたそうです。
この家を気に入っていたのか、第二次世界大戦中多くの隣人が空爆などから逃げるため避難して家を空けてたそうですが、ウェルズは大戦中も住み続けたそうです。
H.G.ウェルズが住んだ家:13 Hanover Terrace, London, NW1 4RJ
ジョージ・オーウェルが住んだ家
『1984』で有名な作家ジョージ・オーウェルが住んだお家がこちら。
1935年から1936年の1年弱をこの家の2階部分に作家仲間であるレイナー・ヘッペンストールとマイケル・セイヤーズと一緒に住んでいたそうです。
ただレイナー・ヘッペンストールはお皿洗いが大の苦手だったようで、お皿洗いのせいで何度も揉めたそう。今も昔も、一般人も作家もシェアハウスすると直面する問題は一緒のようです。
彼のタイプライターを打つ音がうるさかったらしく、彼が引っ越しても嘆く隣人は少なかったとか。
ジョージ・オーウェルの家:50 Lawford Road
【ブループラーク巡り】有名な作家編:まとめ
ブループラーク巡りをしてみて、改めて多くの有名な作家がロンドンに住んでいたことを実感しました。
有名な作家さんも何十年前や百年以上前に、今私がこうやって歩いている道を同じように歩いていたかと考えると感動します。
そして私は、自分が結構イギリスの有名な作家さんの本を読んたことにもびっくりしました。「あの素敵なストーリーはここから発せられたのか」などと考えると、より身近に感じます。
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